日本人の戦争

最近、戦争の映画を見たり、本を読んだりしています。
きっかけは、先月長野県で仏教徒大会に招いて頂いたことでした。
自分は午前中の法話を担当させていただいたのですが、
午後から映画『永遠の0』を上映する予定だと伺い、参考に観てみようと思ったのでした。
原作は以前に一度読んだことがあります。そのときは一晩で読み切ってしまうくらい、
物語の世界に入り込んで読み終えたのを思い出します。
今回はその映画版を視聴し、同時に原作も読み直し、いくつかの書籍に目を通してみました。

すると、昔から抱えているもやもやをはっきり感じることになりました。
自分はいつも何かを置き忘れているような気がしていました。
現実の世界で生活していながら、どこかふわふわした実感のなさを感じていました。
それが何に由来しているのか、わかった気がしました。

それは、生まれる以前の出来事に、とりわけ日本が戦争をしていたことにあまりにも無知のまま、
ついに大人になってしまったという痛恨の喪失感によるものです。

自分は昭和46年生まれ、日本が戦争に負けて26年経って生まれました。
自分が育った家庭はけっして裕福ではありませんでしたが、戦争の痕跡を感じることなく、
平和な世界を享受して育ちました。
戦争を連想させる道具はどこにもありませんでした。
自衛隊の兵器や装備や隊員の姿は、はるかかなたにある非日常の存在でした。
身の回りには、戦争体験を話してくれる大人はいませんでした。
わずかに、満州生まれの父が、中国残留孤児のニュースを見るたびに
「俺もあの中の一人だったかもしれなかったんだよな。ばあちゃん(父の母親)は、よく俺たちを連れて帰ってきたよ」と
話してくれただけでした。
父は敗戦の年の9月に満5歳になりました。姉(自分の伯母)と兄(伯父)がいますが、二人から戦争の話を聞いたことはありません。
祖母も、穏やかなまなざしの中に苦しい過去を封じ込めたように、つらい時代のことは話さないまま自分が高校生のころ他界しました。

「わずか」2,30年前の出来事について、日常的な感覚で歴史を受け継いでいないのです。
平成元年から今日までが27年であることに思いをいたすと、この空白感は一層際立ったものに感じられます。
昭和天皇の崩御、小渕恵三官房長官の発表による「平成」という元号への移行、バブル期の喧騒、テレビ番組は深夜番組が盛り上がっていたこと、思い出すにも鮮やかな時代であったのに、もうあれから四半世紀が過ぎてしまった。
その間にも、そして今この時にも、日本や世界情勢は確実に1日1日の歴史を刻んでいるのです。
まったく同じだけの時間が、日本人が戦争をしていた時代から自分が生まれた年まで流れているのに、
かつての現実は自分の現実に直結していないような気がする。
それが、自分を空白な存在に感じさせているし、自分自身断絶の世代に生まれたのだな、と思うに至っています。

テロリストが一般市民を対象に攻撃を仕掛ける事件が起こっても
(たとえそれがパリであれ、ニューヨークであれ、ベイルートであれ、ダマスカスであれ)
どこかピントが外れたようにぼやけて聞こえるのは、
自分の受け継いだ歴史が血を伴ったものだという確信がないからなのではないか?
そう疑って、今になってようやく学び始め、映画や本を通じて
その時代に生き、死んでいった方々の気持ちに寄り添いたいと思うのです。

お寺の本堂に、戦死された英霊を何人もお祀りしています。
しかし、英霊の位牌は一つ一つ丁寧に作られているのではなく、
わら半紙を細切りにしたものに書かれていて、何人も一緒くたになっている。
まことに、恥ずかしいことです。
戦没者の託した未来にふさわしい日常を生きているのか、
自問する日々です。